「solitaire…ひとり遊び」

「ひとり」のイメージ…

 

 

多くの人はどんなものを持っているんだろう。

 

僕は長い間、ひとりっていうと「寂しい」とか「悲しい」っていうイメージを持ってた。

それは僕にとって単なるイメージというよりも、育った環境や学校での自分の立ち位置とか、そんな実体験から正直に湧き出る想いだ。

 

また、個展に向けて準備していたこの時期に、僕が直面する様々な出来事が、「ひとり」を意識せざるを得ない状況だったりもしたせいか、

この絵を描いている時には、蘇って来る幼い頃の感覚や、ふとした時に思い知らされる孤独感…。

押し寄せるそんな気持ちと真っ直ぐに向き合いながら、敢えて「ひとり」をしっかりと噛みしめながら描いた。

 

ただ、それと同時にどこかでそんな自分を”俯瞰で見ている僕”の存在もぼんやりと感じていた気がする。

 

そしてその時間の流れの中で”俯瞰で見ている僕”が、少しずつ学んでいたんだろうね。

 

恐らく殆どの人が口には出さなくても感じている「ひとりぼっち」や「孤独」という闇の部分。

それって、本当は闇なんかじゃなくて、とても大切で必要な感覚なんだってこと。

 

ひとりだからこそ、じっくりと自分の心に向き合える。

 

僕はいったい何処へ行きたいのか、何をしたいのか、何が好きで何が嫌いなのか。

どんな自分で在る事が心地よくて自信が持てるのか…。

 

そんないろいろは、集団の中にばっかりいたら、

また、集団じゃなくても誰かと一緒にいて自分のペースがなかなか作れない場だけにいたとしたら、すっかりぼやけて見えなくなっちゃうかもね。

 

だから、「ひとり」や「孤独」の空間や時間って、実はかなり価値あるものなのかもしれない。

 

僕はたぶん、他の人に比べて自分の事をよくわかってる。

身に起こる出来事に対して多少の心の揺れが生じても、かなり上手にコントロール出来てるんじゃないかな。

 

知識が無い物事に関しては、ひとに相談や質問をすることがあっても、心の迷いや悩み相談をしようとは思わない。

どうすれば自分にとってベストなのかは、自分の心をよく知ってるから人に聞く必要が無いんだ。

 

何かアドバイスをもらったとしても、自分の核の部分が納得しなければ、それを選択する事は無い。

だから、たとえその判断が間違ってたとしても、自己責任だからひとを恨んだりひとのせいにするなんて悲しい事態にもならずに済む。

 

これってたぶん僕が生きて来た時間の中で、自分と対話できる「ひとり」の時間がたくさんあったからなんだろうな。

 

あまりに長い時間があったからなのか、寂しさを嘆いてうつむいてるだけに終わらずに、知らず知らずにたくさん自分と対話してたんだな。

 

この絵を描いて、数か月の時間が経った今、僕は「ひとり」に対するイメージをこんな風に感じてる。

「ひとり遊び」もなかなか捨てたもんじゃないなって…。

 

そして不思議な事に、ひとりの時間を楽しみ、大切に感じられるようになった頃から、素敵な出会いや出来事が立て続けに起こっているっていう事実もある。

きっと僕が、ひとり遊びの時間を決して虚しさとは受け止めず、顔を上げるようになったから。

添えた言の葉は、まだひとり遊びの醍醐味に気付かずにいる僕の心の声だね。

 

でもそれも僕の人生の通過点。

 

今は遠い出来事のように懐かしく、愛しく読み返すことができるんだ。🍀

 

 

(2019個展「solitaire…ひとり遊び」テーマ作品)

「solitaire…ひとり遊び」

 

 

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殆どの人間は おなかの中ではひとりぼっち

 

外から聞こえる心地よい音に目を覚まし

手足を伸ばしてみたり 指をしゃぶってみたりしながらね

 

そうやって長い月日を暗闇の中 ひとりで遊んで過ごすんだ

 

それなのに不思議だね

 

ひとたび表の世界に飛び出すと

誰もがみんな 寂しがりやになっちゃうんだから…

 

ひとりで遊ぶのが寂しくて

隣りにいてくれる誰かをいつも探してる

 

それでも誰も見つからない子はね

お腹の中にいた あの頃のように

ひざを抱えて 背中を丸めて…

 

またそうやって ひとり静かに遊ぶんだ

 

…noZomi

 

 

=地球に 人に 優しいアートを=

僕らを育んでくれるこの星とあらゆる命への敬意、

そして魂の居場所である肉体に感謝を込めて…

       早川 希