針金アート「忘れ去られたタイムカプセル」:個展New Beginningsより
二十歳の自分に宛てた手紙、その時に大切にしていた物などを入れて…
クラス替えや卒業の記念に、タイムカプセルを校庭の片隅に埋める。
そして、将来皆んなで集まって懐かしさを共有しながら掘り出してみる…
そういうものがあるという話は、幾度となく聞いたことがあります。
学校生活を楽しんでいる人達にとっては、とても夢のあるイベントなのかも知れません。
様々な意味で、学校という制度も場所もどうしても好きになれなかった僕は、タイムカプセルのイベントに巻き込まれずに済んだのは幸いでした。
そして、そのタイムカプセルですが、
数年後に掘り出してみようと探しても、行方がわからなくなってしまったり、いつの間にかそれぞれが疎遠になってしまい、皆んなで集まるということ自体をせずに終わってしまったり…
結局、思い思いの夢を詰め込んだはずのタイムカプセルが、再び開く事は無かった… そんな話を聞いたこともあります。
流れた歳月は、遠い日の約束をあっけなく風化させてしまうらしい。
・・・
僕はもしかしたら、自分専用の見えないタイムカプセルを心の中に持っているのかも知れません。
それは自分の意思とは無関係に、何かのきっかけで突然開きます。
その瞬間、僕の目の奥に鮮やかに甦る景色。
それらは皆、遠い遠い昔の思い出ばかり。
でも、確かに僕が見ていた景色なのです。
そして、その景色を見ていた遠い遠い昔の僕は、これもまた確かにその当時、心の中で思っていたのでした。
「この景色を、この時を、ずっと忘れずにいよう」
そう強く心に焼き付けようとしていた、その時の自分の体感や感情までもが、景色と共に蘇って来るのです。
ある時は、バイクで走りながら見た、抜けるような夏の青空であったり、
またある時は、子供の頃に兄と2人で高窓から外を見ようと、
家具によじ登って背伸びしながら見た風景。
それは、夜の闇にキラキラと光を放ちながら遠くを走る、小さな電車の姿でした。
見えないタイムカプセルが開くまでの長い間、
一度たりとも思い出すことがなかった景色と再開した時、
遠い遠い昔に意図した通り、ちゃんと覚えていた事に、ひとり小さく感動したりしています。
そしてまた長い時間を経て、その存在をすっかり忘れてしまう頃、
見えないタイムカプセルは、僕にどんな景色を見せてくれるのだろう…🍀
安らぎの図画工作室から noZomi hayakawa