僕はハートで生きていく…答えはいつも自分の中にある。だから頭で考えるのではなくハートで感じて生きていく
心臓と脳はコミュニケーションをとっているらしい。
まず先に、感情を心臓(ハート)で感じ取り、その後にそれが脳(頭)へ伝わる…。
感情が宿ると推測される場所は、諸説あるようだ。
でも、この心臓(ハート)説に触れた時、僕としては体感的に身に覚えがあるような、そんな感じがした。
なので賛否両論あるとは思うけど、僕個人の感覚でこの話を続けていきます。
頭で考える事には何らかの計算、打算的なものが絡んでいて、それは自分の純粋な気持ち「本心」とは違うように思える。
本心は脳(頭)ではなく、心臓(ハート)の中にある…と、僕は感じる。
ハートで感じる喜びや悲しみを、頭の中にある言葉に置き換えた時、ちょっとした違和感(ニュアンスの違い)のようなものがあったりする。
ハートで感じる感覚は、言葉というものでは表現しきれないたくさんの繊細なバイブレーションを持っていて、
例えば「嬉しい」という感覚も、人の数どころか、僕の中だけでもその場面ごとに毎回新しい「嬉しい」が生まれては消えて…を繰り返しているように思えるんだ。
欲しいものが手に入った時の「嬉しい」と、誰かの愛を感じた時の「嬉しい」は決して同じではない。
言葉にすれば同じ「嬉しい」なんだけど、全く違う種類の感情がそこにはある。
その違いは、頭で計算する数字や画一的な言葉では、とても表すことは出来ない。
でもハートは確かにその違いを感じているんだ。
胸の奥の灯し火の、その色の違いを、その温度の違いを、ハートは事細かに感じ取っている。
僕は何かを選ぶ場面で、
過去の経験や、見聞きした知識を統計学のように使って答えを出してくる脳(頭)よりも、
その瞬間に心臓(ハート)が感じる感覚の方に絶大な信頼を置いている。
こっちの方が使い勝手が良くて便利だから…とか、価格がリーズナブルだから…とか、〇〇さんがオススメしてたから…のような類いには傾く事はない。
僕が選ぶものは、たいていは理由なんて考える間もない程の一瞬の一目惚れ。
ハートのときめきが選択の決め手となるんだ。
ときめくものが無い時は、さっさとその場を後にして、またの出会いを楽しみにする。
まぁいいか…で選ぶと必ず後で選び直さなければならなくなるし、
せっかく来たのだから、何か選んで帰らなけらば…のようにとどこかで妥協して選んだりしても後悔することになる。
これらは全て頭で考えて、ハートの声を聞いていない選択だから。
でも、ハートの反応で決めたものには失敗がない。
それは単なる物に留まらず、人生の道の選択も同じだなぁと、これまでの自分を振り返ってみると大きく頷ける。
また、僕は元々頭できっちり考えて計画的に行動するということが激しく苦手だ。
その反対に物事を計画的に進められる人を見ていると、僕のように感覚的に動くよりも合理的で、そこにプラスして理知的でカッコいいイメージがある。
特にその’理知的’という部分にちょっとした憧れもあってか、真似をしてみようと何度か試みたけれど、結局長続きしない。
そして気付けばいつものように、気の向くままに事を進めて、俗に言う”行き当たりバッチリ!” に辿り着いて喜ぶ…という事を繰り返している。
でも最近は、僕の人生はそれでいいと思えるようになった。
なぜなら、きっちりと計画を立てて、その通りにしていく過程の中に、僕のハートが喜びも楽しさも感じないから。
やるだけやってみたから気付けたんだけど、僕にはそのやり方は合理的でもなんでもなく、ただただ面倒くさく、煩わしかった。
それに比べて”行き当たりバッチリ!” は結構嬉しいし、なかなかと楽しい。
やっぱり人は人、自分は自分だ。
後付けの仮面なんて簡単に外れてしまうし、付けていてもうっとうしいだけ。
誰かのマネをする事=自分のハートが求めてもいない行動…だったということ。
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本質が感覚的・直感的な僕は、過去、ステレオタイプ化した学校や社会生活に馴染む事がなかなか出来ず、どこに行っても居場所が無かった。
そして居場所が無い自分を惨めだと感じて、なんとか人の輪に入らなければと必死に脳(頭)で言動をコントロールしようともがき続けた結果、いろんなバランスが崩れた。
それでも僕のハートは意外なほど逞しかったようで、そんな環境から僕を力強く引っ張り上げた。
それからもいろんな事があったけれど、紆余曲折を経て、ようやく何に遠慮する事無くハートで生きることを自分に許可できるようになった2022年。
今では、かなり自分自身を大切にできるようになっている。
頭ではなく、ハートに意識を向ける時、僕はもう無駄にエネルギーを消耗する対象を選ばない。
だから、いろんな意味で身辺がかなりシンプルになって風通しが良いと感じているよ。
それは身の回りの物、身を置く環境、そして人間関係に於いてもね。
ここに至るまでには、手のひらからポロポロと落ちて行ってしまったものもいろいろあるし、長い間しっかり握っていた手を、自らの意志で放すという勇気も必要だった。
僕は器用な人間ではないから、あらゆる対象にじっくりと丁寧に向き合いたい。
そんなだから、そもそも持ち物も人間関係もたくさんは欲しくない。
身辺がシンプルになった今が、ちょうど良いのかもしれないね。
頭で考え、それを言動にしている時、意識は外(他人の目・世間一般の基準)に向いている。
ハートに意識を向けている時、その意識は自分の宇宙に存在している。
答えはいつも自分の中にある。しいて言えば自分宇宙の中にしか無いのです。
本来の自分に添った生き方「ハートで生きる」を意識し始めてからは、平和で穏やかな気持ちでいられる時間も確実に増えている。
僕は今、僕のハートに問いかけてみる。
「君はどんな時に安らぎを感じる?」
「雨音を聞きながら美味しい珈琲でも飲んで、何時間でも静かに過ごせたら最高…」
あぁ、いかにも僕らしい…こんな答えが返って来た。🍀
安らぎの図画工作室から noZomi hayakawa
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2022年最後の日、感謝の気持ちを込めて…
ありがとうございました。