知る事、そして選んでいく事

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生まれ育った環境とか、経験とか、影響の受けやすさやその人の本質…。

いろんな要因があると思うんだけど、人の考え方も行動も千差万別。

それぞれの中にそれぞれの「当たり前」や「常識」っていうものがあるから、気持ちのすれ違いや争いごとが起こるんだろうね。

つい先日、僕にもこんな事があったんだ。

 

外出先で読書する為にkindleを使ってるんだけど、これってそれほど頻繁に充電しなくても結構長い時間使える。

だからたまにしか充電しないんだけど、久しぶりにやろうかと思ったら、いつも置いてあるところに充電ケーブルが無いの…。

探し物ってストレスになるし、時間の無駄だから僕は物の定位置を決めてるんだけど、見当たらない。

いろんな場所を探しても、どうしても見つからないの。

 

仕方なく同居人に聞いてみた。(僕は男3人で住居をシェアしてます。)

そしたらなんと、そのうちの1人が会社で使ってるって言うんだよね。

ちょっとびっくりしたよ。

 

「誰も使ってないみたいだから別にいいと思った」って…。

それにしたってこういう場合はひと言聞いてから持っていくのが「当たり前」って僕は思うんだけど、それはあくまで僕の中の認識であって、彼の中にはそういう認識は無いんだよね。

これまでも何度か同じような事があって、大して悪気は無いから毎回すぐに返してくれるんだけど、その度に「こういう行動はおかしい」って伝えても、何がおかしいのかが結局ピンと来ないみたい。

 

僕の中にある「当たり前」は僕が生きて来た経験から僕自身が作ったものであって、彼の歴史は、全然別の世界で成り立っているって事なんだと思う。

これはもう僕の知らない世界。

こういう考え方を持つ人もいるっていう事を認識した上で共同スペースを使わないといけないんだよね。

もう一人の同居人は、極めて僕寄りの考え方なんだけど、同じような場面では、僕よりも対応が大らか。

だから僕は、この3人での暮らしは、学びの時間だと思ってるよ。

街を歩いていても「当たり前」の違いを感じるよね。

 

例えばすれ違いざまに肩がぶつかった時、

明らかに相手からぶつかってきたのに、一言も謝らない人もいれば、僕の方からぶつかったにも関わらず、相手から「すいません!」って謝られちゃうことがあったり…。

そして僕は、自分がぶつかられた時は絶対謝らないし…。

ここで既に、三者三様の反応になってる。

 

人って傷つきたくないから、無意識に自分と同じ考え方や同じ嗜好を持った者同士で話したり、行動したがるよね。

もちろん僕もそ言う部分もある。楽だから。

でもね、それってある意味すごく危険なんじゃないかと考えるところもあって、敢えて知らない人の中に飛び込んでみる事もあるんだ。

自分と違うものを排除するだけでいいのかなって考えるから。

僕は臆病で人見知りなんだけど、その反面、外の世界を見てみたいっていう好奇心も持ってるらしい。

 

でもそうするとね、それまでの「当たり前」がものすごくちっぽけな事に思えたり、反対に「やっぱりこれでいいんだな」って確信が持てたり、

時には何が正しいんだかさっぱりわからなくなっちゃったり…(^▽^;)

いろんな意味で考えさせられる事も多くて、何よりも同じ考え方の中で思いっきり狭くなってた視野が、わ~っと広がるの。

 

そして、自分とは違うものを理解できないまでも、「知ろう」と思うようになるよね。

ここが大切なんだ。

ちゃんと「知ろう」としなければ、絶対に歩み寄る事なんて出来ないからね。

でもここで、もっと大切な事は、そういった新しい知識にも、まずは「疑問」を持つこと。

なんでも鵜呑みにして信じて取り入れる前にその考え方は自分にとって本当に必要なのか、誰かを 何かを傷つけるものではないのか…。

そんないろいろを考えてみる余裕を持ちたいよね。

そうやって取捨選択を繰り返しながら、時には失敗しながらも自分の中の信念や軸が成長していくんだと思う。

 

これは僕の経験からなんだけど、同じような考え方の中にいると、とても楽だけど、いつの間にか自分本位で視野の狭い生き方になりがちなんだ。

多少ぶつかりながらでも、いろんな考え方に触れるって、結局自分の世界も広げてもらえるから、考え方も豊かになるよね。

充電ケーブルの一件では、「大切な物は引き出しの中にしまっておくべき」っていう新たな教訓を得たし…。(~_~;)

 

今年、初めて向日葵を育ててみて、その姿からも学んだ事があるんだ。

最初は一本の茎に一つの大輪の花。

自己主張の強さを感じるような咲き方をするんだけど、その花が終わるころ一本の茎からは、いくつもの花が咲き始める。

どれも最初の花よりかなり小さい。

 

今は11本の茎から小さな向日葵が、30個ほど咲いてるんだ。

仲間外れの花なんて一つも無くて、どの花も綺麗に咲けるようにと、それぞれを思いやった姿が、小さな花々となって表れてるんだろうね。

この花々は、最初に見る大輪の花よりも遥かに美しいと僕は感じる。

なぜなら、我が物顔で「自分だけ綺麗に咲けばいい」っていう花は、一つもないから。

 

人の世界もそうであって欲しいな。

そう思わされる光景を 今僕は目の当たりにしている。🍀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イベント情報

希 noZomi 第4回個展
「陽の当たる場所を探して」は
無事終了いたしました。
ありがとうございました。

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