テリトリーを意識する
些細な事にも心がざわつく・・・
これが本来の僕の性質。
それでも いろんな経験を重ねていくと 、似たような事が起こった時
その場面場面での対処法って自然と分かって来る。
こんな僕でもピンチを切り抜ける技を 経験からちゃんと学習してるんだね。
だから「起こってしまった出来事」には、殆ど動じない。
たいていの事は何とかなるし、何とかしてくれるシステムがあるってわかってるから。
でもね それが単純に「出来事」ではなくて「人間の感情的行動」となると 、思いっきり動じる。
ライオンと目が合ってしまった鹿は、こんな気分なのかなって思えるほど 動じちゃう…。
僕は人が発する怒りとか、イライラの感情、ピリピリとした空気が怖い。
これを発する人が、男でも女でも 大人でも子供でも同じように怖い。
その人が何も言わなくても その波動が伝わってきちゃうし、目を見ればすぐわかる。
それだけで 胃の辺りがキリキリって痛む感じがして、心がざわつく。
ましてやそれを 言動に表す人は最も苦手。
怒りやイライラの対象が自分じゃなくても 自分がされてるのと同じくらいのダメージ受けちゃう。
みんなそれぞれいろんな思いがあるのは仕方ないよね。
僕にだっていろんな思いはあるし…。
でもね ちょっとしたことですぐ不機嫌になったり、
人が思い通りに動いてくれないからって感情的になって怒るとか、
その時の気持ちを あと先考えずに相手にぶつける人が時々いる。
こういう人は、はっきり言って嫌だな。
冷静に状況判断もしないうちに「やられたらやり返す」みたいな被害者意識のかたまりみたいな人は、さらに苦手。
僕はいつも言ってるんだけど、争いから生まれるものって何も無いと思うから。
今年に入ってからも こういう事を見聞きする事が何度かあったんだ。
自分が当事者ではなくても 間接的にでもこういう場面に触れるとダメージ受ける。
なぜかわからないんだけど、そういう感情の波動を感じると、たとえ他人同士のもめ事でも
漠然とした不安と言うか、恐怖感みたいなものが湧いてきちゃってね。
僕もやっぱりただの人だから、そういう強気の言動の人って怖いし、
嫌われたくないとか、良い人だと思われるようにしなきゃとか、そういう気持ちが働いちゃう事も 実はちょくちょくあるんだよね。
だけど最近になって、そういう自分を変えていこうって…そんな気持ちが強くなってきた。
合わないものを無理に受け止めようとしても 絶対にうまくいくはずないんだ。
それを見て見ぬふりしてると、どんどん悪化するんだ。
それを考えるきっかけとなったのが、僕自身の体調の変化。
もともとアトピー体質だったんだけど、今は子供の頃よりは随分良くなってる。
でも今年の始めから初夏にかけて、かなり悪化したんだ。
いろんな事やって対処してみたんだけど、最終的に化学物質を一切使ってない洗濯洗剤に変えた事でかなり緩和されたんだよね。
直接肌に触れるものが、僕には全く合わなかったっていう事なんだろうと思う。
この出来事からね、人の心もそれと同じなんじゃないかなって思ったんだ。
普通の洗剤で全然大丈夫な人、むしろそれがとてもお気に入りだっていう人もいる。
だけど僕みたいに、それに触れる事によって肌に炎症起こしちゃう人もいる。
感情的な言動をとる人を見ても たいして気にならない人、なぜだか普通に仲良くしてる人もいる。
でも僕のように、明らかに不快感や恐怖感を感じちゃう人もいる。
今までは 嫌だなって思ってても、その人の反応が怖かったり遠慮したりして、僕の心の門をどうぞどうぞって開いてた。
そしてびくびく顔色を伺いながら、感情の矛先が自分に向かわないように上手に立ち振る舞ってた自分がいた。
情け無いなって思いながらも、自分の本心に背を向けてたんだ。
良い人ぶってそうしちゃったあとで、僕自身がイライラしていや~な奴になってたりしてね。(ーー;)
でもこれって子供の頃、家族のご機嫌を伺いながら、びくびくして暮らしてた時とちっとも変ってないんだよね。
僕はそんな自分をずっと変えたいって思ってたはずなんだ。
だからこれからは、自分とは明らかに合わないなっていう関係には、心の門は閉ざしたまま その内側で、笑顔で挨拶だけをしておこうと決めた。
だって僕は、みんなが優しい気持ちになれるような絵を描いていきたいんだから。
僕自身の心・身体・魂が穏やかでなかったら ふわっと笑顔になれる絵なんて描けないし、
観てくれる人には、絵を通して僕の感情が伝わっちゃうしね。
その為にもこれからは、自分の心のテリトリーをちゃんと意識していかないとね。
自分の心は 自分が守る。
自分の心すら守れない奴が、誰かを 何かを守るなんて、できっこないからね。
これからは、「出来事」だけじゃなく 「人の感情」にも振り回されない自分を育てて行くよ。🍀