起きる出来事は自分が作った物語…

長い間、自分は起こる出来事を予知していると思っていました。
と言うよりも、ちょっとした罪悪感から、そう思い込もうとしていたんだということを受け入れるようになりました。

あれは予知なんかではなかった。
あの事故は、まだ幼かった僕の、たわいない好奇心という「意識」が起こした現実でした。

それは、子供の頃のこんな体験。

小学校1〜2年生の時、母親の買い物について行ったその帰り道。

坂道を登っていると、その先に引っ越しのトラックが止まっていたんだ。

 

荷台に屋根が付いていないタイプのトラックには、大きなタンスやたくさんの家財道具がきっちりと積まれていて、あとはロープか何かで固定するだけ…と言う感じで。

トラックの上にも、その周囲にも人はおらず、引っ越しを準備している家の玄関が開いているのがわかった。

 

その少し手前まできた時に、僕はふと考えたんだ 。

「あの大きなタンスが落ちて来たらどうなるんだろうなぁ…」と…。

そしてその光景を頭の中でイメージしながら歩いていた。

母親は僕の少し後ろを歩いていて、その後に起こった一部始終を見ていたらしい。

 

僕がトラックから落ちるタンスの下敷きになることをイメージしたその何秒か後、
トラックの真横を通り過ぎようとした時、僕は僕がイメージした通りにその大きなタンスの下敷きになっていたんだ。

たぶん一瞬気を失っていたと思う。

 

気付いたら、いつの間にか地面にうつ伏せになっていて、タンス本体や引き出しや、きっと一緒に落ちて来た色々な何か重たい物で身体中覆われていたけれど、わずかな隙間から地面の向こうを覗くことが出来た。

 

そして、周りで何人もの男の人たちが大きな声で何かを叫んでいる。

その中に母親の叫び声も聞こえた。

「早く!子供が下にいる!」

そんなようなことを言っていたように記憶している。

 

暫くしてようやく荷物の下から僕を助け出した若いお兄さんが、引き攣ったような表情で、泣きそうになりながら

「大丈夫?ごめんね、ごめんね…」と何度も言っていたのもよく覚えている。

 

僕は何処にも痛みを感じてはいなかったけれど、何かとてもいけない事をしてしまったように思えて、
自分の身に起きた出来事よりも、そこに居合わせた人達の緊張に満ちた必死な空気に怯えた。

その時の僕はまだ幼い子供ではあったけれど、これは自分が引き起こした出来事だという確信のようなものがあったんだ。

自分が考えた事が現実になったというのを僕だけは知っていたので、自分のせいで母親も含めた何人もの人達が大騒ぎになっている事。

自分のせいでそのお兄さんがおろおろと慌てふためいている事。

そんな色々が怖くなった。

 

頭を打っていたらしく、その後すぐに近くの病院に運ばれていろいろと検査をして、頭にはぐるぐると包帯が巻かれた状態になった時は、
その大袈裟とも思える姿が無性に恥ずかしかった。

何人もの大人たちが僕を心配したり、謝りに来ていたけれど、僕は誰かを責める気持ちも何もなくて、むしろとんでもない事をしてしまったという気持ちでいっぱいだった。

 

幸い大事には至らなかったようで今の僕が在るのだけれど、あの事故は、まだ幼かった僕の、たわいない好奇心という「意識」が起こした現実でした。

予想もしない騒ぎになってしまった事に本当にびっくりして…

あの時感じた大きな罪悪感のような感覚は、今思えば、僕に正しい意識の使い方を教えてくれる大切な出来事だったのでしょう。

それにしても不思議なのは、あの時、僕を含めた誰もが、なぜ急に荷崩れを起こしたのかを疑問に感じるような状況だったこと。

荷台に屋根はなかったけれど、荷物は決して乱雑ではなく、きちっと積まれている感じだったし、荷台の柵…というのかそういうものも閉じていて、タンスが落ちてくるような雰囲気は全く感じられなかったから。

 

トラックも傾いたり不安定な様子はなく、何一つ問題など感じられない状況でした。
(そんな小さな子供にそこまで克明な記憶など無いはず、と思う人もいるかもしれないけれど、
僕はまだ寝たきりの赤ん坊の頃からの記憶が、大人のそれと同じようにしっかりと刻まれているのです。
これもまた不思議なのですが本当の話です。)

 

引っ越しの業者の人達も、一部始終を見ていた母親ですら、「何で急に落ちて来たんだろう…」と最後の最後まで口々に話していたっけ。

 

たった一つだけ他のみんなと違うのは、僕が崩れてくる荷物の下敷きになる事を経験したいと思ってしまった事。

この事は、さすがに誰にも言ってはいけないような気がして黙っていたけどね。

 

だから、これは予知でも何でもなくて、僕が望んで体験したいと思って起こしてしまった事。

 

似たような事は去年辺りから頻繁に実感しています。

 

もちろん良き事もあまり良く無いと感じられる事でも、イメージは現実化するという仕組みがわかっているから、子供の頃のような無謀な事はイメージしないよう肝に銘じている。

脳科学の世界でも、イメージの力と現実化の関係はよく言われている。

そして、似たようなもので「言霊」があるということも体験から確信しています。

 

僕が話したちょっとした「こういうふうになる事を望んでいる」と言ったそばから電話がかかってきて、今話していた事が現実になるのを友人が目の当たりにしたり…ということも。

だからこそ、引き続き言葉というものにもきちんと意識を向けていきます。

もちろん、何でもかんでも思い通りというわけでは無いのですが、人の意識・イメージというものは、本来とても大きな作用をするものらしいのです。

 

「集合意識」という言葉もあるけれど、多くの人の意識の波動が現実を大きく動かすというのも実際に言われている話。

たった1人の小さな子供が、誰もが不思議に思うような出来事を起こせるんだから、多くの人が意識を向けた先に何かが起きるなんて、至極当たり前で、もっと簡単な事なのだろうね。

 

世の中は今、いろんな事でなかなか落ち着いてはくれない状況。それでもやっぱり

「こうなったら嫌だな」

ではなくて

「こうなったら良いな」

という景色をたくさんの人がイメージしたら、きっと地球はもっと穏やかで平和になるに違いないと、少なくとも僕は信じています。

起きる出来事は 僕たち人間が作る物語。

 

それを意識する人は、僕の周りでも少しずつ増えて来ているであろうことも、僕は信じています。🍀

     安らぎの図画工作室室長 noZomihayakawa

 

=地球に人に優しいアートを=
宇宙に存在する全てが、平和・安らぎ・無条件の愛の波動で満たされますように…