心の中にある鏡

人の心って、鏡みたいだなぁって思う。

 

優しい光を照らされるとそれが美しく反射して、自分も誰かに「優しさの光」を放ちたくなる。

反対に「良くない光」を受けると、拒絶するような乱反射を起こす。

 

それはとても鋭利な光で、周囲を傷付けたりもするんだ。

僕の心の鏡はどうだったんだろうか…。

 

 

生まれた時は、誰もがキラキラ光る、一点の曇りも無い鏡を持っているんだと思う。

きっと僕の鏡も綺麗に輝いていたはず。

 

だけど、受け止めきれないほど、いろんな出来事があって…。

勿論、誰にでもいろんな事があって当たり前で、僕だけが特別では無いだろう。

ただ、僕は人よりちょっと心が丈夫じゃなかったんだな、きっと。

 

だから心の鏡に、「良くない光」を直接受ける事に、どうしても耐えられなくなっちゃったんだ。

そして自分を守る為、鏡が曇っても汚れても、磨くという事をしなくなった。

そうすると、いろんな事が全てぼやけて映るから、いちいち心が反応しなくなるはず・・・だった。

 

でも、現実は悲しい結果を招いただけだったんだ。

 

 

曇った鏡は「良くない光」には、全然効果が無かったよ。

僕は、相変わらず鋭利な光を反射したり、どす黒い光として吸収を続けていたんだ。

そして「優しさの光」はどうだったかというと…。

 

曇った鏡では「優しさの光」を反射する事も吸収する事もいっさいできなかったんだ。

恐ろしいのは、僕自身にその自覚が全く無かったという事。

 

心の鏡が曇っている間にも、本当はたくさんの「優しさの光」を貰っていた事に気付いたのは、

忘れてしまうほど長い年月磨いていなかった鏡の表面を つい最近になって、恐る恐るそっと拭ってみた時だった。

 

 

その瞬間、子供の頃から今までに出会ったたくさんの人達の笑顔、声、その姿…それらが次々と蘇って来た。

あの子もその子も、あの人もその人も・・・みんなみんな笑顔で、それは優しく僕に接してくれていた事が見えてきた。

 

以前の僕は、人を信じないように、決して騙されたり利用されたりしないように、

常に警戒して、心のセキュリティを万全にする事に、かなりの神経を注いでいたんだ。

そうなると、本当の優しさと嘘の区別も何もわからない。

取り敢えず殆どをシャットアウト…。

 

でもね、心の鏡を丁寧に磨いていくと、僕の周りに「優しさの光」が少しずつ集まってくるのがわかる。

ずっと前に貰っていたはずの光と共に、新たな光もどんどん射し込んで来る。

それは徐々に数を増して行き、溢れるほどの眩い光となって…。

 

 

今僕は、事あるごとにこの暖かな光を受けているのを実感している。

僕の小さな鏡では、ちゃんと全部を受け止められているのかさえわからない程たくさんの光。

 

これから先僕がやるべき事は、頂いた「優しさの光」を それを必要としている人達の心の鏡に反射、吸収してもらう事。

優しさで光り輝く鏡には、「良くない光」が入り込む隙は無い。

 

僕はいつも自分の鏡を綺麗に磨いて、そこに頂いた光を取り込み、笑顔に繋がる作品をたくさん描き出す。

そうやって、必要としている人達に僕が貰った優しさの光をもっと増幅させて贈り届けるんだ。

 

 

だから今、以前の僕みたに、曇ったままの鏡をずっと抱きしめている人がいるなら、その鏡のほんの一部分だけでもいいから、磨いてくれたらいいな。

 

そのわずかな隙間に、僕が描いた絵を通して、笑顔になれる一筋の光を届けたいから。🍀

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