揺るぎない思い

先日の個展を終えて、心はもうその先へと動いている。

でも、ここで敢えて今回の個展での経験から感じた事を振り返ってみた。

 

僕にとって、絵と、それに沿える「言の葉」は、僕の生き方、僕の心そのものだ。

僕という人間、「僕自身」がそこに詰まっている。

 

それに共感してくれる人、何かしらの魅力を感じてくれる人、そのような人達が足を運んでくれる。

 

実績も経歴も殆ど無いに等しい僕にとっては、言葉に尽くせないほど有難く、幸せな事だ。

でも時には、当然の如く、絵にも「言の葉」に対しても厳しい意見を受け取ることもある。

 

僕は人の話には、素直に耳を傾けるタイプなので、厳しい言葉も一旦は腹の中に落とし込む。

それをその後、自分に取り入れて行くかどうかは、また別だけど…。

 

今回も「言の葉」を読んだある人から、「文章の書き方を教わらないか」と問われた。

 

つまり、その人から見ると、僕の書く文章に、何か思う所があったのだったのだろう。

絵についても、いろいろと感想を頂いた。

厳しい意見というのは、有難いものなんだ。

褒められてばかりでは、成長は出来ないから。

 

その時受け取った意見は、すぐには形にはならなくても、どこかで良い影響が現れることがあるかもしれないし、全く何の影響も出ない事もあるだろう。

 

ただ、やっぱり僕が紡ぎだす「言の葉」と絵に、他の人の色を入れる事だけはしたくない。

 

 

だから、文章を教わるという話は、その場ですぐにお断りさせて頂いた。

 

だって、「言の葉」は、僕の中から湧き上がってきた「そのまま」じゃなければ、何の意味も無いよね…。

誰かに添削指導された言葉には、「命」が無くなっちゃう。

そして、僕の言葉では無くなってしまう。

 

そこには、その誰かの心が入り込んで来ちゃうから。

 

 

僕は、上手で綺麗な文章を書きたいんじゃ無い。

僕自身を伝えたいから、拙い文章でも、僕の言葉じゃなきゃ駄目なんだ。

 

 

絵だってそうだ。

 

技術、技巧を良く知る人から見れば、ほころびだらけの絵かもしれない。

でも、そこには僕の生き様、心、魂が込められているんだ。

 

「技」で創る事よりも、僕の中にある「熱」で創り出すんだ。

それは、他の誰のものでも無い、僕だけの、僕だから描ける絵なんだ。

 

だから、嬉しい言葉を頂いても、厳しい言葉を頂いても、

慢心する事も、落ち込む事も無く、

絶対に揺るがない「僕」の魂を、絵にも「言の葉」にも込めるんだ。

 

今、その気持ちを確信したから、この先も迷わず、揺るぎなく、僕は僕の創り出すものに、自信を持って進んで行ける。

まだまだ伝えきれない想いはあるけど、それはまた、別の機会に…。🍀