不安や恐怖を外すには意識を”自分”に集中する…

人は、行動や決断をする時に不安や恐怖を感じてしまいがち…

それは多くの人が他人の目・他人の評価を意識してしまうから。

失敗を恐れる理由の多くは、他者からのジャッジへの意識です。

 

自分に意識が向いていれば、失敗は単なる経験で、次へ進むための大切な方向指示器であり、本来なら他人が無責任に下すジャッジなどに自分の価値を左右される必要はありません。

 

その不安や恐怖を外すには、“自分”に意識を集中することが必須です。

他者に意識が向いている間は、何か一つが解決しても、また新たな不安や恐怖を見つけてしまうのです。

自分がどうなりたいのかが先決です。

それを無視して他人の顔色を伺っているから不安になるのです。

 

どんな人と一緒にいたいのか、何を信じるのか、

何が食べたいのか、どこへ行きたいのか、何に安心できるのか…

 

本心からの、魂からの選択なら、不思議なほどその選択には責任が持てるのです。

聞かれれば、堂々と胸を張って選択の理由も説明できるものなのです。

 

そしてその意識を強く持てば持つほど、そこにはあの得体の知れない「不安と恐怖」は存在できなくなっていきます。

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学生時代のバイトからの流れで、僕は接客業に携わる時間が多かったせいなのか

 

「他人に気配りできる事こそが、価値がある」

 

という刷り込み…のようなものが、いつの間にか僕のベースとなる部分にどっしりと居座っていました。

 

そして長い間、僕自身もその概念を疑う事もありませんでした。

むしろ自分の根本的な軸となるものだとすら思い込んでいたような気もします。

 

そうなったきっかけは、家族から独立して3年ほど経った頃、バイト先の先輩が何気なく言った言葉。

 

「お前は気が利かないからなぁ…もっと先回りして機転を利かせられるようになるといいんだけどな」

 

先輩は笑顔だったし、きつい言い方をされたわけでもなかったけれど、妙に印象に残る言葉でした。

元々はマイペースで、他人のことにはかなり無関心、自分や自分が心魅かれるものにしか興味がないような子供でした。

でも、学校という集団生活の場や「みんなと一緒」を良しと考える両親の元で、良くも悪くもいろんな洗礼を受け続けた中、

周囲に合わせたり気を使ったり出来ない…そんな自分に対する自己肯定感はどんどん下がり続け、徐々に心の自由は失われていきました。

 

そんな危うい土台に立っていた僕が、ようやく学校や家族の縛りから外れ、安心して”自分”に還ろうとしていた時期に受け取ったこの言葉からは

 

「気が利かない=ダメな人間=自分」

 

僕の中に取り込まれたのは、ただ単純にこの図式だったのでしょう。

 

一気に緊張感のようなものが走りました。

ショックだったのです。

伸び伸びと自分らしく生きられる時間と場所に辿り着いたと思っていたのに、このままではまた居場所が無くなってしまうのでは…と。

気が利かない人と思われる事に対して、無意識のうちに恐怖や不安が生まれたのでしょう。

 

当時僕はまだ21歳になったばかり、そして僕はかなり素直なので…その日からひたすら「気が利く人」を目指すことになったように思います。

事あるごとに他人の心情に意識を集中することとなりました。

 

もともと洞察力が他の人より鋭かったらしい僕は、接する人達の心の動きが手にとるように感じられてしまう事も多く、

次第にそれに怯えるようになって、最終的には人の心情を気にするあまり、電車すら乗れなくなるような状況が何年も続きました。

 

余談ですが、それを克服できた時、もうとっくに世の中に浸透していたSuicaの存在を初めて知って、その便利さにやたらと感動したことは忘れられません (°▽°)(笑)

 

その後、ゆっくりと時間をかけながら、今は自分の状態をコントロールできるようになっています。

このブログを始めた頃は、まだ僕は自分に集中できていなかったように思えます。

ふと思い立って以前の投稿を見返してみたのですが、やはりそれが伝わって来るような内容と再会することになります。

 

今とは違うスタンスで話しているものも幾つもあるはずです。

でも、それも僕の人生の歴史なので、今のところはそのまま残しておいても良いかのかなと思っています。

 

2018年の投稿の中で、今回題材に挙げた「不安と恐怖」についてのものがあったので

もしご興味があれが読んでみて下さい。

 

一生懸命も必死もカッコ悪くなんかない(2018.04)

 

この投稿では、大手事務所から独立した2年後、試行錯誤で進んでいる草彅剛さんへのTV番組のインタビューを見た時の感想を綴っています。

独立という勇気ある選択は、当初かなり大きなニュースとして取り上げられていました。

 

今、また世の中も大きく変わり、これからもまた大きく変化していくと言われていますが、芸能活動を取り巻く文化もどんどん変化を続けていく段階に入っています。

彼に続いて自分の足で歩いていく芸能人の方々も増えました。

当時、彼が原動力としていた「不安と恐怖」

この時は、その負と捉えられる感情も必然だったのだと思いますし、彼の立場上、感じていた不安や恐怖の大きさは僕たちには計り知れないものだったでしょう。

僕も投稿の中で、そんな彼の言葉に大きく頷いていました。

 

時代が変わり始めた今、彼もどのような心情に変化しているのかな…

あの番組から4年が経ち、あの頃とは世の中の受け止め方もかなり変わっているはず。

 

僕があの頃感じていた不安や恐怖は、自分に意識を集中しているうちに、いつの間にかどこかへ消えてしまいました。

彼はどうなんだろう…

理解ある方々に囲まれて、あの時の彼が抱いていた不安や恐怖が、自信と安心に変わっていることを願っています🍀

 

=スターシードが創り描く☆地球に人に優しいアート= noZomi hayakawa(陽日希)2024秋の個展『自灯明』

スターシードが創り描く
地球に人に優しいアート
noZomi hayakawa(陽日希)
 2024.秋の個展

 
  『自灯明』

2024/11.25(月)-12.01(日)
   11:00ー19:00
(最終日は17:00閉館)

  ギャラリー元町
    ・・・
誰もが心の奥に持つ、内なる光。
それは自身の信念や志、願い、そして大切な想い...
誰かが照らしてくれる灯火を頼りに生きても、
果たしてそれが、自分の人生なのだろうか。
たとえ、今は小さな灯りだとしても、
僕は、内なる光である自分自身を拠り所として生きていく。
       noZomi hayakawa(陽日希)