今僕は、木々が枯れ葉を落としていくように虚飾を剥ぎ取っていく

急に秋の気配を感じた今年の9月

僕はそれまで着てた柄物のシャツやポップな色合いの服を、自分が作ったもの以外全て処分した。

”勿体ない”という概念からすれば、まだ傷んでもいない衣類を捨てるなんて言語道断なのかもしれないけど。

特別何があったという訳でも無いし、飽きてしまったという感覚でもなくて、

ただ

「もう僕には必要無いな…」

と感じたから。

 

思い出の詰まったものもあったと思うけど、そこに迷いは無くて、「もう2度と袖を通すことは無いだろう」という確信のようなものがあっただけ。

でもその根底では

”本心では無いところで自分を飾っていたかもしれない” という想いが微かによぎった気がした…ということもある

 

処分する事を決めた翌日にはもう、その服達は僕の目の前から姿を消してたよ。

 

この事があった頃を境に、なぜか自分をもっとクリアにしていきたいという衝動が込み上げてきたんだ。

それと同時に、今まで後回しにしてきたことに意図せず対峙させられる場面や、腑に落ちていなかった事が思わぬ形で解消したり

身の廻り、心の中の靄が晴れていくような…そんな事が今もまだ続いてる。

 

まるで今の季節、木々が枯れ葉を落として裸になっていくように、僕を包んでいた虚飾を剥がし、不要な荷物を下ろしていくみたいだ…

昨日もまた、たまたま目に入った他の人が書いたブログの文章にハッとさせられた。

 

そこには僕がずっと気になりながらも、人の気持ちを考えるあまりに決断出来ずにいたある事に、改めて向き合わせてくれるような言葉があったんだ。

ここでの気付きは、やっぱり自分の心のどこかで引っ掛かりを感じる事はやるべきでは無いな…という事。

 

普段は”自分で決めて自分で行動”が当たり前なんだけど、慣れない事や自信が無い時には時々こういう失敗をする。

まぁ それもまた勉強だね。

とにかくスッキリした。

 

9月に始まり、あれから2ヶ月ほど。

随分とクリアになってはきてるけど、まだいろいろありそうだな。

 

そして今回、知らず知らずに重ね付けしてたものを落としていく中で、自分のちっぽけさや無力さも露呈して…

そんな殺風景な景色のような自分を目の当たりにすると、がっかりもするしちょっぴり不安も感じたりする。

でも、そんな自分が今の等身大の自分なんだよね。

これが現実であり、ありのままであり、紛れもない真実であるんだ。

 

そう考えれば、これまでの自分はある意味 ”まやかし” であって、

そういう点から言えば、たとえ無意識だったとしても ”不誠実” でもあったのかもしれないんだな…

 

だとしたら、これからもう少し何かを剥ぎ取った先の、もっとちっぽけで葉っぱが全て落ちてしまった裸木のような自分が、

最も正直で誠実で、飾らない真実の僕の姿なんだろう。

きっと新しい年を迎える頃には、飾ることのない真実の姿で胸を張って身軽に歩いているのかなって想像してみると、

それもなかなか楽しそうだなって思えてきたよ。

 

裸木も、新しい年になればそのうちに、エネルギーに満ちた芽吹きの季節がやってくるからね🍀