飾りたくない絵と言われても僕は自分の”魂の落描き”を堂々と描いていく
気付けば8か月ぶりのブログ更新となりました。
2025年2月、拠点を南の地に移してから現在に至るまで、暫しの間、別世界を旅していたように感じています。
ようやく少し地に足が着き始めたかな、と思える日々。
またぼちぼちと、歩みを進めています。
改めて、”今”の自分の言葉を添えて、2023年と2024年の作品を振り返ってみようと思います。
まず今回は、2023年の最後の作品『自画像(洞察)』から。
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自画像(洞察)
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ここ最近、ようやく気付いたことがある。
そのことに気付いた時、僕はハッとすると同時に、心が晴れ渡っていくような感覚に陥った。
あれは確か、2017年頃だったと思う。
学生時代から長い付き合いのあるその友人は、僕に対しては、思ったことをはっきりと言うことが多い。
その日もズバリ、僕の絵に対する感想を伝えて来た。
「noZomiの絵は、面白いんだけど、家に飾りたいとは思えないんだよねー…」
僕は「そうだねー。そうかもしれないねー」と、軽く聞き流すような感じで答えたのを覚えている。
これはその当時に僕が描いていた絵。
こんな風な作品が殆どだった。

確かに、大抵の人が飾りたいと思う絵とは、種類が違うのだろうね(苦笑)
実際あの頃の僕は、描くこと=生きる喜びのような感覚であり、積極的に絵を売ろうという意識も乏しく、そのような感想を聞いたところで、特に何の感情も沸いてくることはなかった。
ただ、そんな風に正直で、遠慮の無い言葉を伝えて来る人など、他にはいなかったので、心に残るひと言ではあった。
そのひと言のせいでは無いと思うのだけれど、その後2024年の末まで年に2~3回のペースで個展を続けながら、来場者の反応に接していくうち、いつしか純粋に描くことを楽しんでいる自分よりも、”飾ってもらえるような絵”を描こうとする自分の方が徐々に大きく割合を占めるようになっていったのかも知れない。
人として、実につまらない成長の仕方だな…。
次第におとなしく穏やかな絵が増える中、この『自画像(洞察)』は、久しぶりにずっと以前から持ち続けている僕の魂の熱量が真っ直ぐに弾けた絵だと感じていた。
それ故、この時の個展”New Beginnings”に、この1枚を出すか出さないかを最後まで迷った。
更に、今だから言うのだが、当初、この絵は”New Beginnings”のテーマ作品としてポスターやDMに使うつもりで描いたものだった。
でもそこで、いつの間にか大きく成長したもう一人の自分が、急ブレーキをかけた。
これは多くの人が、”飾りたくない絵”だろう、と。
別にそれがどうした…という感じなのだけれども、もう一人の自分が執拗にそこに拘った。
しかしその結果、自分の魂が望む方向から、更に勢いを増してずれて行くこととなったようだ。
僕にとって創作することそれ自体が、”生きる”ということである。
それなのに、その最も大切な生き方を、他人とか世間の基準で選ぶようになっていた。
子供の頃から自分の信念を曲げる事を良しとせず、たとえ学校の成績を下げられようと、仕事をクビになろうと、納得のいかない状況で人に頭を下げるような事は絶対にして来なかった自分が、とんでもなくぶざまな有り様である。
その頃から、ちょっと休みたくなった…というか、違う世界を生きてみたいと思うことが多くなっていった。
そして、創作から遠ざかる生活へと舵を切った理由は、きっと自分の魂が望むものと実際の行動が乖離してしまった結果だったように思う。
まぁとにかく、世の中の”当たり前”に呑み込まれそうになっていたのだ。
いや、殆ど呑み込まれていたに違いない。
そこから1年間、当初はほんの数枚だけ絵を描いてみたりしてはいたものの、あまり気が乗らず、土や植物とばかり戯れるようになっていった。
いつしか自分が絵を描いていたことすら実感出来ない程、遠い記憶になっていたように思う。
そして、ちょうど1年後の2026年2月、別世界での時間をスパッと断ち切られるように、僕が望むと望まないに拘わらず、他の住居へと移動する流れとなった。
不思議なことに、そこから僕の内側も僕を取り巻くエネルギーも一変した。
今の居場所は、絵を描く為の場所として選んだつもりはなかった。
それどころか、また絵を描き始めようなどとは全く考えてもいなかった。
暮らし始めてしばらくの間は、画材も全て仕舞い込んだまま、再び日の目を浴びる時が来るなんて、これっぽっちも意識の中には無かったのに…。
魂の、真我のエネルギーというのは、本当に凄いもので、新たな場所での生活が落ち着いて来た頃には、魔法にかかったように、再び絵を描こうとしている自分が居た。
画材が少しづつ居場所を作り、今、僕の小さな部屋はいつの間にか居心地の良い図工室になっている。
まずは、、リハビリのようなつもりで、10cm四方の小さな絵から描き始めた。
鳥などをモチーフにした簡単なもの。

久しぶりに色と戯れていると、時間も忘れて没頭してしまう。
もう随分と長い間忘れていた楽しさ…。
暫くすると、今度は大きめの絵を描いてみたくなった。
しかも、昔みたいに現実の世界とは違う、心に浮かぶものを自由な線と自由な色で!

これはもっと楽しかった。
仕上がってみれば、それこそ飾りたくも無いだろう落描きのような絵がそこにあるのだけれど、心は晴れ晴れとしている。
僕はこれを描いている時、確かに命が輝いているという感覚があった。
絵を描き始めた頃の、魂が喜んでいる感覚があった。
”飾りたくない絵” 、万歳‼︎ である。
友人の何気ないひと言は、今ここで、僕の宝物であったことに気付いたのだ。
長いトンネルを抜けて、ようやく僕は、堂々と、誰に遠慮することもなく、再び魂の落描きを描いていこうと思えるようになった。
ただ、そんな風な絵の描き方をしていたら、絵描きとしての未来は厳しいだろう。
でも、そんな生き方を、とことんやり切ってみるのも面白いんじゃないかと思っている。
後に何も残らなかったとしても、精一杯やり抜いたという、自分だけの喜びはあるだろうね、誰のためにもならないものだろうけれど…。
それでいいんじゃないかと今は思える。
だから負け惜しみなんかではなく、もう一度本気で言う。
”飾りたくない絵” 、万歳‼︎🍀
2026.図画工作室から noZomi.h


