スターシードが描くCosmic Spiritual Art『心眼』5作品
2023.05個展「脳内宇宙の記録」作品紹介
『 心 眼 』5作品
視点が違えば、
誰かにとっての「善」は、違う誰かが見れば「悪」なのかもしれないし、
誰かにとっての「光」は違う誰かにとっては耐え難い「闇」なのかもしれない…
・・・
心の眼。
それは、対象となるものの良し悪し、
「善」と「悪」を見抜く為のものと思う人も多いかもしれないけれど、
そうなると対象をジャッジする事になる。
ジャッジとは審判や判定、裁くなどという意味があって、
これは法廷の裁判官やスポーツの審判員がする仕事。
過去にはそういう視点でもの事を見ていた自分もいたけれど、
それがとても傲慢であることに気づいてからの僕は、ちょっと違う角度で心の眼を使う。
よく聞く話…
明るい光が当たれば、必ずその後ろには暗い影が出来る。
そんなふうに、光と闇・善と悪などは表裏一体。
どちらか一方だけでは存在しないんだ。
今の僕の心の眼は、意識して「鷹の視点」に置くようにしている。
大空から眺めるように高く広い視野で見てみると、”感情” ではなく ”感覚” で捉えることが出来るように思えるからだ。
ここからは、僕個人の見解…。
”感情” は非常に尖っていて不安定でもあり、その時々によって行ったり来たりしてまるっきり当てにならない。
でも ”感覚” というものは、穏やかでふわっとしていてる。
ふわっとしていて掴みどころが無いようでいて、でもそのアンテナは正確なのだ。
”感情(気分)” はその日の天気によっても左右されやすいけれど、
食べ物の好き嫌いなど ”感覚” は、晴れても雨でも曇りでも、たとえ台風が来ようとも、殆どの人は変わらないのでは?
少なくとも僕は、どんなに晴れて気持ちが良い日でもパクチーは苦手だし、どんより曇った日が続いていても、さつま芋の天ぷらが好きなんです。
”感覚” というものは簡単には揺るがない。
だから、信頼が置けるものだと僕は思っている。
鷹の視点に置いた「心眼」でものごとを見る。
その眼から伝わる感覚で、心地良いと感じられるものをただ選んでいくだけ。
そうでは無いものにやたらに意識を向けて、感情を動かす必要は無いのです。
ただ単に、それらは自分の感覚とは馴染まないというだけの事。
対象となるモノ・コト・ヒト…
それをどう感じるかは、人それぞれ違うのだから….。
本来、いつでも世の中は「中庸」。
全てがそこに在って、それで調和が取れているのです。
・・・
誰かにとっての「善」は、違う誰かが見れば「悪」なのかもしれないし、
誰かにとっての「光」は違う誰かにとっては耐え難い「闇」なのかもしれない…
結局はどちらでもあるし、どちらでもない。
それらはただそこに ”在る” というだけのこと。
自分が心地良いと感じるものを「心の眼」で、選んでいけば良いのです…🍀
安らぎの図画工作室から noZomi hayakawa