自分が発するものを意識することの大切さ
”喜怒哀楽”という人間が持つ感情…
その中でも僕が常日頃、全くもってエネルギーの無駄使いと感じるのが ”怒り” という感情です。
いつの頃からか、その感情を使う機会は徐々に減り、今では殆ど無いのではないかと感じています。
仮に出て来たとしても、それはとてもとても可愛らしい姿形で、
フッと小さな息をかけると消えて無くなってしまう程度のものとなりました。
ここ最近の僕の感情の中身は…というと、その大半が ”楽”
時々 ”喜” そしてごく稀に ”哀” があるかもしれません。
常に周囲の大人達の怒りの感情が渦巻いている環境で育った僕は、
何の喜びも生み出さないその不快な感情が、どれほどエネルギーの無駄使いであるのかを子供の頃から目の当たりに見て、感じて来たのです。
その頃から気付いていたのは、いつもしつこいくらいに僕が言っている事。
「争いから生まれるものは無い」という事。
もしあるとしたら
「争いから生まれるものは、新たな争い」だけなのです。
これは、今の世の中を見ればよくわかる事と思われます。
お釈迦様の教えを伝える話の中にも、このような話があるのを僕は数年前に知りました。
多くの人から慕われるお釈迦様を妬んで、罵詈雑言を浴びせかけた男に、お釈迦様は何も反論もせず、
最後にその男に伝えたのは
「相手が罵りを受け取らなかったら、その言葉は全て罵った者が受け取ることになる」…と。
よく見聞きする話だし、そんな事は聞き飽きたという人も多いかもしれませんが、
頭の中ではわかっていても、いっ時の感情のままに良からぬエネルギーを出してしまい、それをそのまま自分で受け取ってしまう。
そういう状況が、時々どこかで起こっているように感じています。
誰かから不快な感情をぶつけられた時は、それをぶつけてくる側のコミュニケーション方法に問題があるので、本来ならばその荒れたエネルギーを受け取る必要など無いのです。
それなのに、感情の昂りに任せて「目には目を!」「言われたら言い返す!」「やられたらやり返す!」という意識で行動する人がいます。
それをやっていると、その人もまた荒れたエネルギーの発信源となってしまい、そのようなエネルギーが増幅していく事によって、世の中に殺伐とした空気が広がっていく事もあるのでは…
僕はそんな風にも感じています。
「類は友を呼ぶ」ように、喜びの場には喜びの周波数が、怒りの場には怒りの周波数が寄ってくるのではないかと…。
せっかくの人生の大切な瞬間と、大切な魂のエネルギーを乱暴に無駄使いをしているようで、とても残念だと感じます。
十人十色という言葉がある通り、人はそれぞれに価値観が違います。
人間が持つ「言葉」というものは本来、そういう時に意思疎通を図るのに、とても有り難いツールであるはずなのです。
その大切なツールを武器のように振りかざしてはならないのです。
そしてもう一つ僕が意識している大切な事。
それは、感情をぶつけられるという不快な経験をするというのは、それをした相手のせいばかりではなくて、
もしかしたら過去のどこかで、僕が誰かに放った余計な物が、巡り巡って僕の元に返って来てるのかもしれない…
そんな風に冷静に捉えてみる視点。
たとえ自分に覚えがなくても、悪気がなかったとしても、或いは前世での出来事からのものだったとしても、
知らず知らずの言動がどんな影響を起こしているかは分からないのですから。
そういう出来事を通して、今後自分が発するものの「質」を改めて見直し、意識していく事。
それが、結果的に世の中の平和に繋がる事なのではないかと僕は考えているのです。
被害者意識を持つだけでは、下手をすると心の底でいつまでも相手を責める事になりかねません。
そうなってはこれもまたエネルギーの無駄使いとなってしまいます。
お釈迦様の あの教えは「自業自得」や善悪の両方を含む「因果応報」のイメージが強いけれど、そこに僕なりの解釈を付け加えれば、
「相手を憎んだり、恨んだり、怒りをぶつける必要もないんだよ」という事…
自分が発するものに意識を向ける事は、穏やかな日常を紡いでいく上でとても大切な事なのです。
皆が心優しい贈り物を届け合うことが出来たら、この世界には、愛ある素敵なエネルギーが行き交うことになるのでしょう。
周りの人の幸せと、自分自身の幸せの為にも…🍀
=スターシードが創り描く☆地球に人に優しいアート= noZomi hayakawa(陽日希)2024秋の個展『自灯明』
地球に人に優しいアート
noZomi hayakawa(陽日希)
2024.秋の個展
『自灯明』
2024/11.25(月)-12.01(日)
11:00ー19:00
(最終日は17:00閉館)
ギャラリー元町
・・・
誰もが心の奥に持つ、内なる光。
それは自身の信念や志、願い、そして大切な想い...
誰かが照らしてくれる灯火を頼りに生きても、
果たしてそれが、自分の人生なのだろうか。
たとえ、今は小さな灯りだとしても、
僕は、内なる光である自分自身を拠り所として生きていく。
noZomi hayakawa(陽日希)