「心に優しい瞬間」で記憶を上書きしていくことの効用 2020個展My dear…親愛なる君へ『泡沫』からの考察

ふとした時に心に浮かぶ、過ぎ去った時間。

そんな時に頭の中のスクリーンに映し出されるシーン。

思わず笑っちゃうような楽しいシーンや、心に優しいシーン、

あるいは、たとえ胸がキュンとするくらい切なくても、そこに温かな何かを感じられる…

そんなシーンを思い浮かべられるといいな。

反対に、怒りや悲しみで占領されてしまうようなシーン。

時にそれらは、その場に居た当時よりもさらに僕の感情を大きく揺れ動かして、自分自身を攻撃することになったりするんだ。

僕はいつの頃だったかな…そんな事に気付いたのね。

それに気付く前の僕は、もう目の前にはとっくに無くなっている様々なシーンをわざわざ引っ張り出しては、そこに浸って悲しんでみたり怒ってみたり…

実に生産性の無い、誰の何の役にも立たない時間を過ごしてたね。

そうやってる間は、現実の世界でうまくいかない事や何やらを 全部過去のせいにしておけば良いから、ある意味楽だったのかもしれないなぁ…

でもある時、そんなスパイラルから無性に抜け出したくなったの。

1人で意味もないモヤモヤした時間を過ごしているんだったら、その時間を何かと、誰かと関わる時間に費やしてみようと思ったんだ。

そして勇気出して、それまで自分が居た場所ではない、外の世界に目を向けていろんな場所へ行ったり、いろんな人に会ったりし始めたんだよね。

そしたらね、そこには楽しい会話、笑顔、穏やかな空気、優しい時間…

まぁ時にはそうじゃ無いものもあるんだけど(笑)

とにかく、外の世界には明るく刺激的ないろいろが溢れてた。

もしかしたらそこへ行かなくても、僕が気づかなかっただけで、それまでの場所にもそういうものがあったのかもしれない。

ただ僕がそれらに目を向けなかっただけで…

それは今だからこそそう思えるんであって、意識改革するには、まずは見聞きするものがガラッと変わるように環境を大きく変えてみるっていうのが近道かもね。

それまでの僕は、とっくに風化した古くて凝り固まった記憶を山ほど集めて、大切に大切に保存してたんだ。

目の前にあったかもしれない「心に優しい瞬間」は全部ゴミ箱に捨てて…

人が、日常の全ての瞬間をいつも意識して過ごすなんて不可能だし、全ての出来事を記憶していくなんていうのも無理。

だけど、ふと思い出すとしたら心に優しいシーンが断然良いよね。

だからもし、今日1日のどこかで嬉しかったり楽しかった出来事があったら、それを何度も思い浮かべて追体験してみて!

僕はそうやって心に優しい時間を噛み締めながら、記憶の上書きをしていく。

もちろん上書きしていくから、楽しかったり嬉しかった記憶も順番に薄れていくんだけど、印象深い経験は自然と深く残るようになってるみたい。

それを繰り返してるとね、いつの間にか以前の嬉しくない記憶たちは、徐々にその輪郭がぼやけていくんだ。

完全に削除できるわけでも無いから、確かにそこにはあるんだけど、だんだん居場所が追いやられていって存在感が無くなっていく感じかな。

そして、そのうちに感情移入することも無くなって、不思議なことにまるで前世の記憶か、他人の事のようにさえ思えてくる。

良い時間も嫌な時間も、どちらも一瞬先には泡沫のように消えていくもの。

そこに留まるっことは決して無いんだよね。

あとは僕らの記憶になっていくか、忘れられていくか…

今この時も、1秒前はもうどこにも存在していない。

だったら少しでも多くの優しい時間を「記憶の中のスクリーン」に残しておきたいじゃん。🍀

2020.09個展「My dear…親愛なる君へ」より

『泡沫(うたかた)』

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

全ては泡沫

   一瞬先には

     消えて無くなっているかもしれないね

noZomi