「黙食」という言葉からの考察『立場が違えば心の在り方も違ってくる』
たまたま見かけたニュース
映し出されたのは どこかの学童保育所のおやつの時間の風景
そこで言われていたのが
感染対策の一環として 子供たちがそれぞれの席で誰とも会話もせずに食べるという
「黙食」
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それを見た瞬間は
「何だか寂しいよなぁ」って思ったんだけど
ふとね 自分の子供時代を思い出したんだ
小学校の給食の時間とか 遠足のお弁当の時間とか
みんなが友達同士で仲良く 和気あいあいとお喋りしながら食べている中
誰にも話しかけてもらえない僕は
一人 針のむしろの中に居るような いたたまれない気持ちと戦いながら
うつむいて食べてたことを…
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侘しさや寂しさを感じさせる「黙食」だけど
あの頃の僕だったら 大歓迎だっただろうな
みんなが戯れる事なく 黙って食べていれば 仲間外れになっている恥ずかしさや悲しさも感じなくて済むからね
更に それぞれの机を包み込むように囲むアクリル板の存在
今の僕は 飲食店に入った時にそれがあると
人と人の距離を感じて違和感を覚える
だけどこれも 子供時代の僕なら 外敵から自分のパーソナルスペースを守ってくれる有り難い道具と感じていたに違いないな…
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今の自分が 人とのコミュニケーションを遮るものに対して
寂しさや不満を感じられるようになっている事
それは 当時の孤独だった僕から考えたら 本当に幸せな事だと思うよ
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そして このニュースは感染対策の徹底が必要だということを伝える一方で
大半は やはり何か残念な状況として受け止められているんだろうね
でも もしかしたらその裏で
ずっと以前の僕と同じような立場にいる子の中に
「黙食」もアクリル板も 心のオアシスのような嬉しい制度として受け止めている子が 一定数いるかもしれない
僕はそんな風に感じてる
これは 影の部分を知らずに育ってきた人たちにはわからない感覚かもしれない
でも 同じ物事でも
それを受け止める人が どんな立場に居るのかによって
その物事に対する「心の在り方」は 全く別のものに成り得るということ
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自分の感覚が万人のそれと同じではないということ
だからこそ 日頃からもっと想像力を働かせて
自分以外の人の立場にも想いを馳せてみる
そういう心の広さ 心の余裕を育てることは
徐々に 自身の心の安定にも繋がっていくのだろうと 僕は感じている🍀
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