時には、独り立ち止まる時間を持とう

最近は街を歩くと、休日には人とすれ違うのもちょっと大変なくらいの人ごみに出くわすようになった。

世の中に以前の活気が戻って来つつあるのは嬉しいね。

 

でもその開放感から、ついうっかり街に溢れる渦に巻き込まれてしまうと、なんだかとても疲れてしまうんだ。

もともと人が多く集まる場所では、自分のエネルギーが消耗して行く感覚がある。

マイペースで自分のテリトリーを守りたがる僕は、出来るだけ速やかに人気(ひとけ)の少ない場所を求めて避難する。

 

きっと似たような感覚を覚える人も多いんじゃないかな…

 

賑やかで楽しげではあるけど、様々な”気”がたくさん入り乱れた空間。

そこでは妙に浮き足だったような気持ちになって、本来の自分を見失って行くような危うさ、正体の見えない不安のようなものがよぎる。

そこに留まることによって、まるで何かに操られるように、自分の判断力も鈍っていくような感覚。

 

わかりやすく言えば、

ついついその場の空気に流されて、大して欲しくもない服を買ってしまうとか、

興味もない場所へ行く約束をしてしまうとか、会いたくもない人と会う約束をしてしまうとか…

 

そんな事から、人混みに限らず、何かしら人が集う場所では往々にして見えない”魔物”が存在するんじゃないかと感じたりもするんだ。

もちろんこれはあくまでも僕個人の見解だけどね。

 

今は特に物事が急激に変化している時代で、ますます先の読めない不安定な世の中になってる。

だからなのか、

道に迷わないように、

置いていかれないように、

多くの人がピリピリしてるような気がする。

そして、大勢の流れに乗ることで安心感を得ようとしている風に見えてしまうんだ。
これって、少し前から言われてる「多様性の時代」「個の時代」というものとは逆行してるよね。

 

本当は、いろんな常識が壊れ始めた今こそ、 ”我が道を行く” ことが出来るはずなのにね。

 

自分の心を見失わずに生きて行くためにも、身の廻りに活気が溢れてきた今、

敢えて

『独り、立ち止まる時間を持とう』


僕がお勧めする時間の過ごし方、それは ”本を読むこと”

TVでもYouTubeでも、ラジオとかの音声媒体でもなく、活字を読む

 

本のジャンルはなんでも良い。

店頭で何気なく目に入ったものでも、ネットでおすすめの本でも…

流れてくる画像や音声をただ受け止めるのではなくて、自分のペースで取りに行く感覚が大切。

 

そういう意味で本(活字)というのは、しっかりと咀嚼しながら自分の中に取り込んでいける媒体。

 

 

廻りに流されやすいタイプの人は、特に活字と触れ合う時間を持つと良いと思うよ。

大人になるまで読書にほぼほぼ縁がなかった僕が、自分軸のようなものを持てたのは、恐らくこの

意識して作った ”活字との時間” の賜物だと思ってる。

 

『独り立ち止まる時間』 世の中が動き出した今だからこそ大切にしたいな。

 

 

そして、ちょっぴり寂しくなったら、心許せる誰かに連絡をすればいい。

 

ひとり立ち止まる時間も、誰かと過ごす時間も、どちらも大切だから。

 

どちらの時間も、心の声を聴いて選んで行けばいい。

そんな風に思ってる。

 

 

僕が僕である為にね…🍀