蜃気楼
未だ辿り着けない風景がある。
いつの頃からだったか、
おそらく幼い頃からずっと心に描いたまま、未だ辿り着くことの出来ない風景。
ある時、ふとしたきっかけで観た「ロング・エンゲージメント」という映画のラストシーンでその風景に出会った。
先日、僕の好きな映画のひとつとして、Facebookでも紹介したけど、
僕はいつも、そのラストの風景に辿り着く為だけに、その映画を観る。
木々の間から、暖かく柔らかな陽射しが降り注ぐ庭。
それまで抱いていた真っ暗で重たい不安が、溶けて無くなっていくような、穏やかな時間と静かな会話。
そこにあるのは、深い安らぎと包み込まれるような安心感。
かけがえのない大切な存在が、確かに目の前に在るというその風景に出会う度に、僕の目から…いや、心のずっとずっと深い所から溢れ出て来る涙がある。
僕はたぶん、一般的な人と比べてかなり我慢強くもあり、何事も頑張る方だと思う。
でも世の中には、努力や頑張りだけじゃ、どうすることも出来ない事ってある。
その思いは、小さな子供だった頃から、長い間僕の心を捉えて放してはくれないんだ。
僕が大切に思うもの、安心できるもの、大好きなもの・・・。
そう感じるものを見つけると、少しだけ幸せな気持ちになる。
でも、しばらくするとそれらが、僕の前から消えて無くなってしまう。
神様の仕業なのか、何なのかわからないけど、ある時急に、僕の手から、大切なものを奪っていってしまうんだ。
小学生の頃、引っ込み思案だった僕に、ようやく友達ができたと思っていたら、学年の途中でその子が引っ越してしまい、またクラスで一人ぼっちになる・・・。
不思議な事に、まるでデジャヴのように毎年繰り返された出来事。
そこに居ると、大きく深呼吸できるような大好きな街並みは、再開発で跡形も無く消えてしまった。
思い出のたくさん詰まったバイト先は、いつの間にかどれもみんな違う店に変わってしまい、
そこに行けばいつでも会えると思っていた人達は、みんなどこかに消えてしまった。
家出同然で飛び出して、早くから独り立ちしてしまった僕は、安らぎや優しさを外にある何かに求めたり、無意識に何かにすがろうとする癖があったんだろうね。
そんな僕が、何かに出会って、そこに幸せを感じ始めると、まるで蜃気楼のように消えてしまうんだ。
そして僕には、素足のまま冬の街を歩いているような、そんな心細さだけが残る。
きっと僕はまだ、もっともっと先へ進まなければいけないし、強くならなければいけないというメッセージなんだろう。
今では、そう前向きに捉えるようにしているし、普段はそれでも大丈夫な自分がいる。
だけど、人ってそんなにいつでも強いわけじゃない。
大切にしたいものが在るって事に気付いた時、そこに小さな幸せを感じた時が一番怖いんだ。
僕がそう思うと、また目の前から無くなっちゃうんじゃないかって…。
でも、人の一生はたった一度きり。
ちゃんと自分の心に正直に行動しないと、そこには後悔しか残らないんだよね。
だから、最近は少しだけ、それほど勇気が無いからほんの少しだけなんだけど、自分の気持ちのままに行動する事もある。
それは、いつの日か、あの映画の中のような景色、その暖かな温度を実際に体感したいから。
あの穏やかで包み込まれるような安心感、僕が未だに、ただの一度も感じたことのない気持ちを味わってみたいから。
もしかしたらその景色は、僕にとって永遠に蜃気楼なのかもしれない。
僕が何か行動すると、また目の前から消えてしまうかもしれない。
これからも、ずっとその繰り返しなのかもしれない。
正直、そんな風に怯える自分もいる。
だけど、それでも砂漠の向こうにあるはずの、本当の景色を見られる日を、僕はまだ諦めたくないんだ。🍀
=スターシードが創り描く☆地球に人に優しいアート= noZomi hayakawa(陽日希)2024秋の個展『自灯明』
地球に人に優しいアート
noZomi hayakawa(陽日希)
2024.秋の個展
『自灯明』
2024/11.25(月)-12.01(日)
11:00ー19:00
(最終日は17:00閉館)
ギャラリー元町
・・・
誰もが心の奥に持つ、内なる光。
それは自身の信念や志、願い、そして大切な想い...
誰かが照らしてくれる灯火を頼りに生きても、
果たしてそれが、自分の人生なのだろうか。
たとえ、今は小さな灯りだとしても、
僕は、内なる光である自分自身を拠り所として生きていく。
noZomi hayakawa(陽日希)