もっと自由に!より華麗に!2019.11個展「rhapsodie…狂詩曲」

『ラプソディー(狂詩曲)』についての説明を見ると、いろいろと書いてある….で、簡潔に言えば

「自由で幻想的な楽曲」

これは正に僕の作品に繋がるイメージ!そう感じたんだ。

直感でピンときた! だから誰がなんと言おうと、僕の作品の世界と繋がってるはずだ!….ってね。

僕の頭の中….そこには「想像」と「空想」「幻想」の世界が始終忙しく行き来してる。

ある時は走馬燈のように、ある時は万華鏡を覗いているかのように広がってるんだ。

駅のホームで電車を待つ僅かな時間や、その後の移動中はもちろん、街を歩いている時でさえ、目に映っているはずの景色を超えて….

頭の中には、僕だけに見える「想像」「空想」「幻想」の世界が色鮮やかに生き生きと映し出されるんだ。

そんな時はすれ違う人も目に入らない。

乗るはずの電車が目の前で止まって、その後発車してしまっても気付かなかったりする。

そのせいか、いつの間にか予想以上に時間が経過しちゃってるっていう経験が多い。

僕には、無意識に過ぎてしまったその空白の時間が、ただただ不思議なんだけどね。

きっとこの世には”時間泥棒”というものが存在するに違いない…(笑)

思えば子供の頃からずっと、それが当たり前のように生きて来た。

今、目の前で起こっていることや聞こえているものに退屈してたりすると、そこから意識が離れてしまう。

そして、どんどん頭の中に広がるワクワクの世界にどっぷり入り込んで、そのうちにワクワクが大きくなり過ぎてそれを何かで表現したいっていうエネルギーが溢れ出して来る。

居ても立っても居られないような高揚感でいっぱいになっちゃうんだ。

そんな調子だから、知らず知らずに現実社会とのペースがズレちゃって、日常がどこかピントが外れたような生き方になっちゃってるかもしれない。

集団生活の中にうまく溶け込めなかったのも、きっとそんな僕の性質のせいもあったんだろうね。

心が動かないものには、反応できなかったから。

集団の中で楽しめない自分に長い間劣等感を感じてたりもしたけど、今となってはそういう独自の感覚を大切に守ってこれて良かったと感じてる。

敢えて必死に守って来たわけでも無いし、独自の感覚だという自覚も無かったけど、簡単に ”染まらない” とか ”流されない” 自分が居てくれてたんだろうな。

だから今も、わざわざ意識して心の自由というものを模索しなくても、普通に思い浮かべるモノゴトの殆どが、何に囚われるコトもない楽しい想像・空想・幻想。

僕の心はいつでも自由に浮遊してる。

それらを音楽で言えば  “メドレー” にして奏でることによって、観る人の心の奥で眠ってる夢や浪漫を掻き立てる….今回はそんなことをしてみたい。

そしてもっと欲を言えば、まだまだ子供っぽい印象になりがちな僕の作品のグレードをもっと高めていきたい。

最近出会う歴史ある建造物などから感じる壮大なイメージ。

そこに限りなく近づきたい!

まだまだ遠い道のりではあるけど、志は常に高い高いところへ‼

ガーシュイン作曲の「ラプソディ・イン・ブルー」

この壮大なメロディーが似合うような空間を目指して。

僕の表現する世界は、ここからまた

「もっと自由に!より華麗に!」

いざ、集中していきます!🍀

=地球に 人に 優しいアートを=

僕らを育んでくれるこの星とあらゆる命への敬意、

そして魂の居場所である肉体に感謝を込めて…

       早川 希