
半年前、僕は思い切って、長い間閉じていたオルゴールの蓋を開けた。
そこから聞こえて来たメロディーは・・・。
出会いが生き方を、人生を変えてゆく。
それが良い出会いならば、それまで見えていたモノクロの景色が徐々に彩られていくように、
澱んだ空間に、爽やかな風が吹き渡る。
その存在が誰かの「夢」や「希望」だったり、頑なだった心を溶かしてくれたり、
暖かな光を届けてくれる…。
僕が出会った人は、そういう人達だったんだ。
内藤勲さんと藤井亜弥さん(当時)に初めてお会いしたのは、去年の9月。
今でも不思議なんだけど、それまでの僕なら絶対にあり得ない「セミナー」というものに、しかもその後の懇親会まで参加した時。
内藤さんは、そのセミナーの講師で、亜弥さんはサポート役として、献身的に動いていた。
その後、何か直感的に即決して、お二人のご結婚とほぼ同時期に始まったグループ講座にも参加する事になったんだよね。
それからの半年間、セミナーでの学びの効果も大きく、僕を取り巻くものが、少しずつ良い方向に流れ始めている。
でもね、実はその陰で起きていた事が、僕には一番嬉しかったんだ。
僕は子供の頃から、家族とは深い確執があって、去年の秋ごろまでは、父ともどこかよそよそしい関係が続いていたんだ。
でも、不思議と僕が内藤さんご夫婦とお会いする度に、徐々に父との関係が変わって行ったんだよね。
講座が回を重ねる毎に、僕がお2人に寄せる信頼感は勿論、親近感も増していったんだ。
そして僕が一番好きだった時間はね、
「じゃ、また…。」って別れる時の2人の姿を見る時。
穏やかな笑顔で頭を下げてくれる内藤さんと、子供みたいに無邪気に手を振ってくれる亜弥さんの姿。
その2人の姿を見ていると、僕がずっと抱えていたいろんな重たいものが溶けていくような気持ちになるから。
その笑顔と、手の平から溢れて来る、柔らかで優しい光を 僕はいつもたくさん感じていたんだ。
そしてそれが僕の「プリズム」を通して、新たな7色の優しい光となり、また他の人達に降り注ぐ。
ここ最近はずっと、そんな不思議な感覚を抱いていた。
だから、父と会う時もいつの間にか、以前のような刺々しい気持ちは無くなり、穏やかな時間が流れるようになっていた。
そしてつい最近、父が口にした言葉が、本当に嬉しかったんだ。
父は昔から、何でもやってもらうのが当たり前で、感謝の気持ちや言葉とは、程遠い人だった。
これは本人もそうだったと言っているので、間違いないんだろうね、きっと。
そんな父が、いつも駅ビルに行くと利用するトイレがあるらしい。
そこを清掃するおばさんと、時々顔を合わせるらしいんだけど、最近は会うと必ず声をかけるんだって。
「いつも綺麗にしてくれて有り難うございます。」って…。
誰かが掃除してくれていることなんか、気にも留める事のない人だったから、これは物凄い変化なんだ。
他人に思いを馳せるなんて事とは、一番遠い所にいたような人。
たわいもない事かもしれないけど、僕は心から嬉しかったんだ。
でもきっと、それ以前に僕が変わってきてたんだろうね。
内藤さん夫婦から溢れ出してくる光が、僕を通して父へ、そして父のプリズムを通した光がまた他の場所に降り注いで…。
これこそが「循環」なんだろうな、目には見えないけど。
きっとお2人は、自分では気付かないまま、いろんな場所で、たくさんの人達のプリズムに光を注いでいるんだと思う。
だけど、この半年の間に、お2人にとって幸せな時間もたくさんあっただろうけど、耐え難い程の大きな悲しみの体験があった事も僕は知っている。
その悲しみを乗り越える過程の時間を僕は、離れたところで静かに見守るしかなかったけど…。
それでもずっと2人から零れて来る光のしずくは、力強くもあり、どこまでも優しかった。
ご夫婦で雑誌の取材、撮影を依頼されることもあるようで、それを見る人達はきっと、2人の姿、存在に「夢」や「希望」を重ねるんだろうな。
僕は幼い頃、どこかに忘れ物をしたまま大人になってしまったような人間だ。
僕にとって2人の存在は、その忘れ物である「優しくて柔らかな何か」を
「大丈夫、ほらここにあるよ。」と教えてくれたような存在だった。
その存在が誰かの「夢」や「希望」になるって凄くいいよね。
いつの日か、僕の作品や僕自身が、誰かの「夢」や「希望」になったとしたら、そんな素敵な事って他にないんじゃないかって思う。
その為にも、これからもいい出会い、いい時間を大切にして、もっと自分自身がいろいろ経験していかないとなぁ…。
僕が蓋を開けないまま、ずっと抱えていたオルゴール。
そこからは、優しくて暖かい、そしてとても懐かしいメロディーが聞こえてきた。🍀